由香里の愛人日記

愛人日記60.凡庸な恋人との別れ

正輝が立ち上がって私を迎えた。
「久しぶりだね、こちらは・・」正輝がそう言うと女が立ち上がって
「南川友梨です」自分を紹介した。
「蒼井由香里です」
私も応えた。

友梨は知的な感じの美人でキャリアウーマンという感じだった。
年齢は私より少し年下の印象だった。
若い割には、着ているものはシックでエレガント、かつ華やかさがあった。
私は正輝の横に腰を下ろした。

「とりあえず、皆で乾杯」
正輝が場を采配して、私にグラスを渡しビールを注いだ。

正輝は肴をつつきながら饒舌に語った。
「俺さ、会社を作る事になったんだ」
そう言う正輝の眼が輝いていた。
友梨はそんな正輝を頼もし気に見詰めていた。

正輝の話はこうである。
ある中堅企業が、物流システムの合理化のための、情報システムの再構築を計画していた。
正輝は、営業マンとしてその会社の若い専務と知り合っていた。
専務とは息が合い、それまで幾つかの業務を請け負いこなしていた。
正輝は今回の計画の総合統括、全面受注を願い出た。
専務は、情報システムの再構築の総合統括者として正輝を押した。
やがて、その企業の役員会は正輝を承認した。
それに伴い、正輝は独立を考えた。
専務は更に、正輝の会社設立に必要な資金を援助してくれるという。

「その専務と言うのが、こちらの南川さんなんだ」
正輝はそう言って、友梨を改めて紹介した。
若い、それも女性の専務。
私は、こんな若い女性が専務だなんてきっと会社のお家の事情があるだな、と思った。

「若宮さんの企画力、プレゼン力、行動力、リーダーシップ力が当社で高く評価されました。それで今回情報システムの再構築全般をお願いしたんです。そして、蒼井さんのことは若宮さんからいろいろお伺いしています。」
友梨が言った。
友梨は、年齢の割には聡明な感じで、知的な微笑みを浮かべて、私を見詰めた。

しかし、友梨はその微笑みの中で、冷徹に私を品定めしているようだった。
正輝にとって私の魅力は何処にあるのか?
自分と私のどちらが正輝の心を奪っていのるか?
どちらが正輝にふさわしいのか?
私は本能的に、友梨の視線の意味を理解した。

友梨は、すでに正輝と寝ている。
すでに正輝を愛している。
そして、私を警戒している。
私はそう確信した。

「正輝、良かったわね。あなたならきっと成功するわ」
私は平静を装って、正輝を褒めた。

「それで、蒼井さんには、新会社のパンフレットなどデザインをお願いしたいんだが」
正輝が私のことを、蒼井さんと呼んだのがショックだった。
なぜ、いつものように由香里と呼ばないのか?
答えは決まっていた。
友梨の存在だった。

私は即座に答えた。
「私には出来ないわ。全然知らない業界だし、今、デザイン事務所の仕事で目一杯なの」
「お忙しいんですね」
友梨が冷たく微笑んで言った。
私は友梨に形だけの微笑みで応えた。

私は居心地の悪さを感じていた。
正輝が、昼間の電話で少しの沈黙を置いて「会おう」と言ったのは、友梨を引き合わせる算段が有ったからに違いない。

引き合わせてどうする積りなの?
私は考えた。

正輝は、自分の新しい恋人、それも新会社の大きな後ろ盾となる女を見せて、自分は別の次元へと旅立つ、そのために、私と別れたい、そう言おうとしていると思った。いわば、今日は、別れの理由と別れの言葉を告げる日なのだ。
私は勝手にそう解釈したが、それは確信でもあった。

その場に、いやな空気が流れた。
二カ月近く、正輝を放棄していた私にも責任はある。
ただ、私は恋人を失うというよりも、自分はとてつもなく正輝から遠く離れた場所へ来てしまっていることに、驚きを感じていた。

パパと愛人契約を結び
パパと体を求めあっている日々。
パパの性癖に慣らされ、調教的に身体を愛でられている日々。
そして、沖縄でのスワッピング。
美希との濃厚なレズプレイ。
何よりも、レイプされて、体が汚れてしまったこと。
正輝にはどれ一つ打ち明けることが出来ない。

正輝はいわば良俗と常識の世界だ。
正輝の若さゆえの激しい性欲は常識的に十分認められ、幸せの追及も当然のことなのだ。
若さからくる恋の延長には結婚があり、家庭があり、やがて子供があり幸せがある、そんな軌道が描けるのだ。
凡庸ともいえる、当たり前すぎる世界。
正輝は起業しその当たり前すぎる世界に自分の砦を作ろうとしている。

私は、そこからなんと遠くへ離れてしまったのだろうか。
私は、彼らから見たら、冒涜的で、淫乱で、穢く、倒錯しているのだ。
正輝に、今の自分は理解できないと思う。

それよりも何よりも、正輝に自分と別れたいと思わせたのは、自分が正輝をないがしろにした、その結果ではないのか。

じゃなぜ、正輝と会いたかったのか?
正輝という、凡庸をもう一度愛したい、
パパの濃厚で、幸せを禁じられた世界から離れてもう一度、凡庸に、幸せ感覚のある世界に戻りたい、と思ったからではないのか?

私の思考は光速度で展開した。
しかし、正輝と友梨の、幸せというものを微塵も疑わない、凡庸なやり取りを見ていると、

もう、そこには戻れない

そう思った。
私はビールもオードブルも口にせず、黙り込んでしまった。

「どうしたの」
正輝が訊いた。
「少し、具合が悪いの。帰るわ。ごめんね。さよなら」
私はぶっきらぼうに立ち上がり、席を立った。

結局、さよなら、という別れの言葉を告げたのは私自身だった。

友梨の眼が笑っていた。