私とパパの間の愛人契約では、互いに語りたくない事は語らなくていい事になっている。
だから、パパは私の住所を知らない。恋人正輝の事も知らない。
私は、パパの会社の事や、どこに住んでいるのかを知らない。ましてや、奥様がいるのか? どんなご家族と暮らしているのか? 全く知らない。
ある日、得意先のデザイン事務所で担当のディレクターを待っている間に、備えてあった経済雑誌を何気なくめくっていた。
ある記事が私の目を引いた。
桐野剛一帝国電器産業マーケティング戦略統括局長、宇宙事業への展望を語る。
と題するものだった。
そこに大きく顔写真が掲載されていて、それはまさにパパの顔だった。
記事は、帝国電器産業の子会社、WWIT社が推進するナノサット・超小型人工衛星事業の可能性について、パパがビジョンを述べていた。
そのビジョンによると、秋から冬にかけて、フランスに新しい支社等を作り、ヨーロッパのASE・欧州宇宙機関、SERN・欧州原子核研究機構、ロケット打ち上げ企業、新薬開発企業など数十の機関や企業との提携と取引を実現してゆく、というものだった。
日本の宇宙開発専門家と握手している写真、アメリカのNASAの研究員と対談している写真、超小型人工衛星の模型を持っている写真等々が掲載されていた。
どの写真にも、パパの素敵な笑顔があった。その笑顔は、経営のプロというより、研究者の笑顔を思わせるものだった。
スーツ姿がよく似合う、しかし、派手ではない、堅実で控えめな印象を与えるものばかりだった。
パパは私と人の多い所へ行くのを好まない。
レストランでも、あまり目立たない、ひっそりとした場所にある店を選ぶ。車で行楽地へも行かない。
会社や、それと関係する社会的立場を気にしてだろうか?
私とのスキャンダルを怖れてのことだろうか? しかし確証はない。
その記事を手掛かりに、パパのことを調べようと思えば、手段はいくらでもありそうだった。
有名人紳士録や、会社企業情報等出版物に限らず、ネットで引けばいくらでも出て来そうだった。
私はそれをしようとは思わなかった。
私とパパは、お伽噺の中にいるからだ。
全面鏡張りの秘密のマンションこそがそれを象徴している。
そこでは、私もパパも全裸を曝し、様々な嬌態を演じ、互いの体を貪り合い体液を啜り合っているのだ。
会社や、世間や、ましてや、家族や友人と言った日常の人間関係とは全く別の、パパと由香里だけという世界で出会っているからだった。
そんなことを考えていると無性にパパに会いたくなった。
お伽噺の中で、お伽噺のパパともっともっと愛し合いたい、そう思った。
事務所の外の廊下に出てパパに電話した。留守番電話のメッセージが流れるだけで通じなかった。次いで、LINEした。すぐには返答がなかった。
打ち合わせが終わり、デザイン事務所を出たころにLINEの受信音が小さく鳴った。
LINEを開いた。
「電話に出られなくてゴメン。夕方、いつもの店で!」
というメッセージがあった。
「パパ、大好き!」
と短くメッセージを返した。