由香里の愛人日記

愛人日記38.パパの仕業9 上質のセックスと下衆なセックスを知った事

セックスはどれもこれも同じではない。
上質のセックスとは、自分を高め、相手を高め、相手をこの世で最高の美味な生贄のように、神々へ捧げるように、敬いながら、貪ることだ、とパパが言った事がある。

セックスって、シンプルに言えば、ペニスをバギナに入れて擦り合って、オスは射精し、メスは射精されることだと私は思っていた。
それは、生物としての生殖行為だと思う。
猿から、犬から、ライオンから、ネズミまで、全て同じ行為と同じ原理で成り立っていると思う。
でも、私が誰かとセックスするって、それだけだろうかといつも考えていた。

パパは、上質のセックスは、相手を神々への生贄のように敬いながら、貪ることだ、といつか言った。
凄いと思った。

今まで私がセックスした相手はとても少ない。
初めてのセックスの相手は高校時代の同じクラスの男の子だった。
そのセックスは、恋と言うか、お伽噺のセックスみたいなもので、好奇心と不思議体験で、意味が分からずやったものだったと思う。

大学に入って、正輝と知り合ってセックスした。
初めて、正輝のような若い男が女に求めるセックスが何かを理解した。
どうしようもない性衝動に突き動かされ、その処理を、私に求めているのだと思う。
月一回か二回程度、今でも正輝とはしている。

そして今は、剛一パパと週三回ほど定期的にしている。
私って淫乱なのだろうか?
セックスパートナーが、多いのか少ないのか?
きっと少ない方のだろうとは思う。

そうだ、セックス相手と呼んでいいかどうかは別として、もう一人いる。
一度だけ犯されかけたことがある人間がいる。
熊谷がそうだ。

熊谷は、アルバイト先のクラブの片隅で、私の股間を執拗にまさぐり、私はトイレに逃げ込んだ。
熊谷はそれでも追いかけてきて、トイレの鍵をこじ開け、私を殴り、半分失神している私のスカートを捲りあげ、パンストの上にザーメンを放った。
私は花瓶で熊谷の頭を殴り、クラブを飛び出し、交差点に停まっていた車に助けを求めた。
それがパパだった。

熊谷のそれは下品どころか、下衆で愚劣の極致、野獣以下のセックスだと思う。
女の私から見ると、一方的で、暴力的で、ただザーメンを放出することだけが目的で、相手への思いやり等はなく、金で全てが買えると思い、相手は単なる膣であり、肉であれば良い、というセックスだ。

正輝のセックスは当然そうではない。
私も正輝を愛している。
でも、セックスとなると、正輝は自己中心的だ。
私を抱いて、バギナにペニスを入れ、ピストン運動をし、腰をの動きを速め、射精し、私に被さり、そして絶える。
私は、それが恋人同士のセックスの普通のあり方だと思っていた。

パパは違う。
パパは私をとっても大切に扱ってくれる。
キス一つにしても、私の反応を確かめながらキスしてくれる。
舌の入れ方、唾の吸い方と送り方。

唇で私を舐める時もそうだ。
うなじを舐めるとき、由香里の味がする、と囁いたり、
乳首を含む時、時間をかけて、私が突起するのを待ってくれたり、
あるいはアナルを攻めるとき、ゆっくり、たっぷり、パパが涎を塗り付け、ローションを塗り
私のアナルがほぐれて行くのをじっくりと待って、愛してくれる。
パパが挿入して、私が高まり、喘ぎだすころ、パパは私の反応を見ながら

イクよ
いいかい

と囁いてくれる。

だから私は、私の体の全てをパパに開いてゆく。

上質のセックスがあるとすれば、自分が大切にされ、愛され、その上で最高の美味として貪られることだと思う。
遠い昔の、神々への生贄のように。

神々への生贄なんて、パパが教えてくれた、凄いイメージだ。

やはり、パパの仕業は、私の致命傷になりそう