青春。メタモルフォーゼ

青春05 静かな家族。叔父さんは不在。祖父とおばさんの怪しげな雰囲気。r

2021/04/27

野際家のマンションに引っ越した夕方。
荷物の片付けもほぼ完了し、私は軽くシャワーを浴びた。
新学期が始まってすぐの4月初めだった。

裏山が夕暮れの中に沈み始めていた。
西空にはまだ夕日が残り、空の雲や遠くの街並みやビル群を赤く染めていた。
今夜から一人。
そう思うと心細かった。

インターフォンが鳴った。
隣の屋敷からだった。
声は良枝さんだった。

由希さん、お食事の用意が出来ましたよ。
会長さんがお待ちですよ。

旧屋敷の広いダイニングには見覚えがあった。
5年程前に、さらにその前にも、何度か訪れたことのある広間だった。
広いテーブルや、猫脚の椅子、壁にかかったフェルメールの複製画「真珠の首飾りの少女」など、全てが昔からのままだった。
ここでは時間は澱んでいるように思われた。

テーブルの中央に野際大輔お祖父さん、その左横に叔父さんの妻理香子さんが座っていた。
私がテーブルに着くと、良枝さんが次々と料理を盛って行った。
今夜は、宮崎牛のステーキと野菜や魚介類の取り合わせだった。

「由希ちゃん元気だったかい?」お祖父さんが微笑んで言った。
「はい、いつも元気でした」
「ハハハ」とお祖父さんが大きな声で笑った。

眉毛が濃く、深みのある眼だった。
その顔の一部は、父や叔父さんに似ていたが、誰よりも豪快な感じがした。
昔聞かされたのだが、お祖父さんは戦争真っ最中の頃、銀行から金を借りて、空襲爆撃が想定される、このあたり一帯の土地をただ同然の安値で買い漁ったという。
そして戦後から高度成長期にかけて、土地は高騰し莫大な利益を得たという。
お祖父さんの目の光は、戦中戦後を生き延びたしたたかさと知恵をうかがわせるものだった。
今、祖父は会長職についていた。

理香子叔母さんは三十代後半で、知的で飾り気のない質実な印象を与えた。
夫の叔父さんに変わって、会社の実務をこなしていた。
叔母さんは肩書は専務だが、実質上の社長だった。
そんなことをお父さんから聞いていた。

「由希ちゃんは何に興味を持ってるの」理香子さんが訊いた。
「水泳と、天文学です」
「ヘえー、おしゃれとかは?」
「もちろん興味あります。でもそれ以上に水泳と天文学です」

実際、私は高1から水泳部に入り、今では後輩を指導する立場になっていた。
天文学は、見学で行ったプラネタリウムがきっかけでのめり込んだ分野だった。

「天文学の何が好きなんだね」お祖父さんが訊いた。
「膨大な時間の流れです。そして不思議さです。ビッグバンで宇宙が生まれたのですがそれが138億年前だと言います。それだけでもワクワクするんです」
「変わった子だね」

お祖父さんと叔母さんはそのほか色々訊いてきた。
私はそれに、お肉を頬張りながら答えた。

ボーフレンドはいるのか?
いません。

大学へは行くのか?
行きたいです。

最近、女子高生で人気のある映画は?
さあ

スマホは持ってるの?
はいラインが殆どです。

水泳部はきついの?
今では慣れました。
秋には県大会へ出場します。

広い屋敷で、祖父、叔父、叔母さんの3人暮らしの生活はきっと静かで寂しいものなのだろう。
私という若い娘が珍しそうで、興味がそそられているようだった。

お腹が減っていたので、私はお喋りと食べるのに夢中になっていた。
ふと気が付くと、叔父さんの姿が無かった。
遅れてやって来るのかと思っていたが、一向に現れなかった。

「叔父さは来ないんですか?」私は訊いた。

すると一瞬、場の雰囲気が凍ったようなき気がした。
二人共叔父さんの話題を避けているようだった。

「もっとしっかり食べて。水泳部だろ」お祖父さんが言った。
「はい、でも結構食べました」

1時間ほど談笑しただろうか。

「少し疲れたから、失礼するよ、由希ちゃん」

そう言って祖父は椅子から腰を浮かせた。
隣に座っていた理香子さんがすかさず、祖父に肩を貸した。
祖父は、理香子さんの腰に手を回し、一方の手を首に巻き付け、まるで抱擁するような形で理香子さんを引き寄せた。
理香子さんは、その抱擁を素直に受け入れ、ゆっくりと側に有った車椅子に祖父を預けた。

一瞬だが、とてもエロティックなシーンだった。
理香子さんとふと目が合った。
心なしか、理香子さんの頬が赤らんだ。

結局その夕方は、叔父さんは食事には現れなかった。