磯の潮だまりで美希が由香里にシュノーケルの訓練をしているのが見えた。
二人は若い体を惜しげもなく夏の陽と風と海に曝していた。
由佳里のマイクロビキニにのエロティック大な理石のような輝く身体。
美希の成熟した情熱的でパワフルな海で舞う人魚のような身体。
二人の女は海獣の子供のように時間を忘れて戯れているようだった。
「素敵な子だね」雁屋遼介が、由香里を評して言った。
「そうだろう。美希ちゃんもいい子だ」桐野剛一が答えた。
白いクルーザーのデッキだった。
東シナ海の波が八月の光の中でさんざめいていた。
「ルーカスはどうなった」遼介が訊いた。
「隠しカメラの写真では、猛の誘惑とプレイに完全に溶かされたようだ。」剛一。
「作戦はうまく行ったのか?」遼介。
「そう思う。二人のゲイプレイを撮った画像を見せたら観念したようだった。俺の言うことを聞かざるを得ないよう顔つきだった。」
剛一が苦笑いしながら言った。
「少しむごいな」遼介。
「猛がルーカスに今夜東京で会おうと言ってきた。それを聞いたルーカスは麻薬患者が喜ぶような顔だった。それはそれで小さな幸せだ」剛一。
「お前の方はどうだ?」剛一が訊いた。
「自衛隊の内部文書の隠ぺい問題で野党の追及が厳しきなってきた。そのあおりで、こちらへの機密費用の監査も厳しくなってきた。やりにくくなって来たよ。」
「お前の金は俺が作る。」剛一が言った。
「無理するなよ」遼介。
「忘れるな。自由は買い取るものだ。」剛一が言った。
「分かっている。工作の根は首相近辺まで深く掘ってある。」遼介。
「ルーカス側からは今後年間十億が調達できる」剛一。
「しかし、ルーカスはまだ浮動票だぞ、決定打ではない」遼介。
「分かっている」
剛一は中学生時代をふと思い出していた。
住んでいたのは貧しいすさんだ街の一角だった。
父はアルコールで荒れ、母はパートを掛け持ち夜遅くまで働いて疲労困憊していた。
狭く暗い家には、剛一と妹がいつも二人きりだった。
ある日、妹が高熱を出し、費用の件で病院へ行くのを躊躇している間に、死んだ。
その後、父が家を捨ててどこかへ消えた。
母は鬱になった。
剛一は鬱になった母の代わりに金を稼ぐため学校へ行くのを止め、近くの八百屋でアルバイトをした。
そのアルバイト先に遼介がいた。
同じく貧しい街に暮らしていた。
遼介はやせていて、顔つきは卑屈で貧相だった。
それは貧乏から来る顔つきだと、剛一は理解した。
なぜか遼介は、その八百屋の、猪のように太った高校生の息子にいつも怒鳴られていた。
ある日、剛一が野菜の配達から帰ってくると、猪が遼介に何度も平手打ちを食らわしていた。
遼介は頭を抱えて地面に転がった。それに追い打ちをかけて猪が蹴ろうとしていた。
剛一は条件反射的に猪に飛びかかった。
猪はぶっ飛び、壁に頭を打ち転がり半身を起こして喚き散らし剛一を激しく罵った。
剛一はその喚き声が腹立たしく猪の顔面をけり上げた。
ギャーという叫びにも容赦せず、二度三度と蹴り上げた。猪の鼻が潰れ血が飛び散った。
遼介が剛一に飛びついて
「止めろ、もう止めろ」
と叫んで剛一の蹴りを制した。
警察がやってきて二人は長い時間調書を取られた。
そして剛一と遼介は結局その八百屋を追い出された。
輝く水平線を見ながら遼介が言った。
「金が全てじゃないが、ほとんどのものは金で買える」
「そうだ。自由が買える」剛一。
「女も買える」遼介。
「買った女を愛するかどうかは別問題だがね」剛一。
「愛が必要ならやはり金で買える」遼介。
二人が見つけた次のアルバイトは白蟻退治の仕事だった。
一軒家の床下に潜り込み、土台の柱にドリルで穴を空け殺虫剤を注入する作業だった。
殺虫剤は揮発性に富み、マスクをかけていてもその微粒子は鼻の中に侵入し、シンナーを吸ったような眩暈と吐き気を誘発するものだった。
また、床下は湿気に満ちた腐敗した土壌が多く、百足や訳のわからないおぞましい虫たちが蠢き、衣服の中に侵入して来るのもしばしばだった。
ある日二人は昼飯時、パンを齧りながら語り合った。
「遼ちゃん、俺は絶対に大学に行くぞ。立派になって、こんな暮らしから必ず脱出してやる」剛一が言った。
「俺もだ。」遼介が言った。
「俺たちはよく勉強したな」剛一が言った。
「そうだ。本当に歯を食いしばった」遼介。
二人ともアルバイトを続けながら中学高校をトップクラスで卒業し京大へと進んだ。
剛一は大手電器メーカーに就職し、今は役員に加わり世界規模でのマーケティング戦略を担当している。
遼介は防衛省へと進み、今は外郭団体の長を務め、政界や財界さらに裏社会とも関係を構築している。
二人は、自分の立場を利用し、国にも会社にも頼る必要がない資金を調達し合うことを約束した。
「自分の身は自分で守る」
それが二人の鉄則となった。
シュノーケルの練習が終わったのか、美希と由香里がクルーザーの方へ歩いて来る所だった。
二人の身体が八月の光の中で煌めいていた。