愛人契約

愛人契約11.契約は秘密の蜜の味r

2021/04/26

深夜、由香里が裸の肩をあらわにして剛一に絡みついて眠っていた。
剛一は雁屋遼介に電話を入れた。
前に電話で話してから半年ほど経っていた。

「剛ちゃんか?」遼介が言った。
「元気かい」剛一が言った。
「知ってると思うが、ここんとこゴタゴタでさ」
遼介が言うゴタゴタとは自衛隊の汚職事件で、それはテレビで連日報道されていた。
その汚職関連報道に、遼介が統括する如月会の名前が散見していた。

「少し頼みたいことがあるんだ」
「剛ちゃんの頼みらなんでも聞くよ」
剛一は手短に、由香里との出会い、逃げて来たクラブ名と所在地、レイプした男、熊谷の名を告げた。
そして、由香里が置いてきた衣類や私物などを引き取って、至急このホテルへ届けてほしいと頼んだ。

「分かった。誰かををすぐ走らせる。で、男はどうする?」
「身元だけ洗っといてくれ。しばらく泳がせてみるさ」
「わかった」遼介が言った。
「悪いな、礼はいつものようにカンパニーから振り込むよ」
「あまり気は使わんでいいよ。しかし、めったに電話してくるなよ。公安に盗聴されてるかもしれん。じゃあな。」
遼介はそう言って電話を切った。

桐野剛一が良く使うカンパニーは、カリブ海に浮かぶケイマン諸島に登記されている。
そこは法人税が殆どかからない地域ということで税金天国・タックスヘイブンとよばれている。
世界的な大物政治家や大富豪がこのタックスヘイブンにペーパーカンパニーを登記し、税金逃れや、資金洗浄などに利用されている。
剛一のパソコンの管理画面で支払い手続きをすると、そこから更にアメリカのタックスヘイブン・デラウェア州のペーパーカンパニーへ飛び、そして最後に遼介関連のペーパーカンパニーへと振り込まれるのだ。
時間にして1分もかからない。

早朝、ホテルのドアがノックされた。ボーイがすこし小ぶりの段ボールを届けに来たのだった。
段ボールを開けると由香里がびっくりして剛一を見つめて言った。
「どうしたの!!それ!!」
「友達に頼んで引き取ってきてもらったんだ」
剛一はにやりと笑って答えた。
「どんなお友達?」
「中学校時代からの親友だよ。」

由香里はお友達のことはそうは追及しなかった。
戻って来た段ボールの中身の方が今は重要な関心ごとだった。
段ボールの中から出てきたのは、クラブ用の衣装とは違って、地味なものだった。
白のジーンズとグレーのタンクトップ、その上に着るピンクのブラウス、紺のスニーカー、そして大き目のトートバック等で、極めてカジュアルでシンプルなものばかりだった。

そして何よりも彼女が喜んだのは、スケッチブックだった。
由香里はスケッチブックを取り出していった。
「ありがとう、本当にありがとう、これは私のすべてなの」
そう言って、彼女は剛一に抱き着き、熱いキスを送った。

そしてその朝10時頃、ホテルをチェックアウトすることにした。
剛一はホテルの支配人に内線を入れた。
「はい、桐野様」電話口に出た支配人が応えた。
「そろそろチェックアウトしたいんだが」
「かしこまりました。お車はいつもの所に回しておきます」
「料金は例のカンパニーから振り込んでおきます」
「ありがとうござます」

このホテルには、政治家や海外からの要人が利用する秘密の通路があった。
その通路は迷路になっており、ホテル内を上下左右にくねり抜け、フロントはおろか誰にも会うことなく、ホテルからすこし離れた駐車場に至るものだった。
この部屋も秘密の通路に続いていた。その出入り口はミニバーの奥の壁に仕込まれていた。
剛一と由香里は、完璧に人に出会わず秘密裏にホテルを出たのだった。

また、剛一の車はごく平凡なトヨタのプリウスで誰からも好奇の目を向けられることなかった。
剛一と由香里は八月の朝の光に満ちる街中に完璧に溶け込んだ。

その日から間をおいて何回か、郊外のホテルで逢引した。
剛一と由香里は心も躰も相性が良かった。
会うたびに剛一は年甲斐もなく、激しく由香里を求めた。由香里も剛一の求めに全身で応えた。
ある時ホテルで食事をしながら剛一が言った。
「愛人契約を結ばないか?」
由香里はしばらく考え込んだ後
「いいわ」と微笑んで答えた。
二人はワイングラスで軽く乾杯した。

契約の意図はおおむね次のようなものだった。

・蒼井由香里は桐野剛一から呼び出しがあった場合は、原則として直ちに応じること。
・桐野による呼び出しは概ね週2回程度。ただし回数は変動することもある。
・蒼井由香里は桐野剛一が望む性愛行為について不快と感じる場合は拒否することが出来る。
・お互いのプライバシーには踏み込まない。
・恋人、友人、家族、住所、職業、勤め先など、互いに明かす必要はない。
・明かすものは、互いの連絡のための電話番号とLINEのアドレスのみとする。
・契約金額は月額五十万円とする。
・契約金は月末に蒼井由香里が指定する金融機関に桐野剛一の「カンパニー」から現金で振り込むものとする。
・特記事項
 この契約は、いつかは分かれるという前提に成り立つ。
 ゆえに、幸せ、という言葉は禁句とする。

これらの約束ははメモ書きとして残し、実際の契約書は別途に作成してペーパーカンパニーと由香里が交わす形にした。
その契約内容はカンパニーから由香里へ簡単な広告用イラストの作成を依頼し、その対価として月額50万円を支払うというものである。