剛一がソファーに座って待っていると看護婦がやって来て、由香里の処置室に案内した。
由香里はベッドに横たわっており、その顔にはところどころガーゼに被われていた。
ガーゼから覗く右の瞼は閉じられ、その上の眉毛のあたりが膨らんでいた。
また、唇の右端にもガーゼが当てられ、殴られた傷口を塞いでいた。
眼を閉じた由香里の表情は憔悴しきっていて、天井の蛍光灯の光を受けて青ざめていた。
先ほどの若い女医が言った。
「怪我は思ったほど大したことは有りません。リングで避妊手術をされているので、レイプによる妊娠の問題はありません。ただ、精神的動揺が強いようです。精神安定剤を飲んでもらいました。」
「そうですか」
「今夜は病院に泊って行った方が良いと思うんですが、どうしても嫌だとおっしゃるんです」
「由香里」
剛一が声をかけると、由香里が目を開いた。
「今夜はここへ泊ったらどうだい?」
「嫌っ」
そう言って由香里は目を閉じた。
閉じた目尻から涙が流れていた。
剛一は、二人きりにしてくれと、女医に頼んだ。
そして由香里のベッドの横に椅子を持って来て座り、優しく話しかけた。
「どうしたいんだ。自分のアパートに帰りたいのか? それとも恋人に迎えに来てほしいのかい?」
「恋人って、誰の事?」
「由香里なら、恋人の一人や二人はいるだろうなと思ってるんだがね」
剛一は嘘を言った。剛一は、若宮正輝という恋人の存在を、探偵の調査を通じてすでに知っていた。
「パパと一緒にいたい」
由香里が小さく言った。
遠慮がちな、少し怯えたような口調だった。そう言えば、由香里が自分から甘えたことはなかった、と剛一は思った。
「駄目?」
由香里が剛一を見つめた。
剛一はさっき抜け出してきた、WWITのプレゼン発表の会議室の光景を思い浮かべた。
若手プロジェクトチームの、自社人工衛星打げ計画に対する評価を下さなけらばならなかった。
その途中で抜け出して来たのだった。
既にプレゼンは終わり、剛一を含めた役員の評価を今待ち望んでいる筈だ。
剛一も由香里を見つめ返した。
由香里の目に真剣な、祈るような光が満ちていた。
「分かった。今夜は一緒にいよう」
剛一が言うと、由香里は目を閉じ、声を殺して泣き始めた。
「嬉しい、パパ」
剛一はそっと由香里の唇にキスした。
微かな血の匂いがした。