十号……
十号……
自分を呼ぶ声がする。
十号は至福の眠りから引きずり出される。
パパが自分を見詰めている。
起きたかい、十号、空が変だ。ここをすぐ撤収する。
十号は促されて体を起こす。
どれほどの時間が経ったかは全く分からない。
全裸だったはずが、水着がを着け、ガウンを羽織っている。
パパか武史が着せてくれたのだと思う。
十号。
あれをごらん。
ドローンだ。
武史バンガローの外で空を指さした。
隣には夏希が寄り添っている。
指さした沖を見ると、小さな飛行物体が染みとなって青い夏空を汚している。
武史がスマホを耳に当てて誰かと交信している。
分かりました
OK!
急いで……
そんな会話が終わるか終わらない内に、ドローンが急接近してくる。
ローターが6個ついている大型ドローンだ。
形状が確認できる程に近づいたところで、下から何かを発射した。
その物体が白煙の尾を引いて、ヨットをめがけて飛び込んでいく。
超小型のミサイルだ。
やられたーっ
パパが叫ぶ。
次いで、ヨットの後方部に赤い炎が舞い上がり、激しい爆発音を立てる。
「軍事用ドローンだ。
正確にエンジン部分を破壊した!」
武史がスマホに向かって叫ぶ。
ドローンが方向を変えてこっちへ向かって来る。
吊り下げた機銃の銃口が十号たちを狙っている。
「かがんで、頭をひくくして!」
パパが引き倒すように十号をテーブルの下に押し込む。
武史と夏希も必死で駆けてきてそこへ飛び込む。
ダダダダ
銃口が火を噴いた。
弾丸の連射が浜辺の砂を弾き飛ばしながら、バンガローに向かって来る。
十号は思わず頭を抱え込む。
パパが十号に被さり、守ろうとする。
武史も夏希に被さる。
銃弾がバンガローを襲おうとした瞬間、ドローンはいきなり態勢を崩し、よろめき、屋根を超え雑木の中へ落下した。
何?
十号が思わず声を上げる。
「見ろ!」
パパが、燃える希望号の彼方を指さしていう。
水平線の手前で、白い舟影がやはり燃えている。
そこから二艘の黒いボートが飛沫を上げてこちらへと向かって来る。
やっと来たか!
パパがテーブルの下から這い出して言う。
皆がそれに続く。
見ている間に、ボートはどんどん近づいて来た。
一艘は、燃える希望号の背後に止まり、もう一艘はこちらの浜へと向かって来る。
パパがボートを迎えるため、浜に走り出る。
武史を先頭に、夏希と十号も波打ち際へ向かう。
黒い軍用ボートが、見る間に近づき熱い浜に乗り上げた。
胴体は厚く頑丈な特殊なゴムで出来ていて、見るからに機動性に富んでいるようだ。
中から三人の迷彩服の男たちが降りて来る。
背の高い男が二人、背の低い男が一人だ。
背の高い二人は銃を斜め横に構えて、バンガローの奥の雑木林に向かって走り去る。
もう一人の背が低い中年が四人に近づいて来る。
小柄で、迷彩服の腹が窮屈そうだ。
動きからして指揮官らしい。
「無事だったか」小柄な男が声をかける。
「ありがとう、しかし遅かったな」パパが答える。
二人は知古なのだろう、受け答えに親密感が有る。
「そう云うな。これが精一杯だ。沖の司令船は破壊した。漁船だった。乗組員五名は今、海の上だ」
「救助しなくていいのですか」武史が訊く。
「その内、仲間が助けに来るだろう。来なけりゃ死んじゃうがね」
男は冷たく言い放つ。
男が十号に顔を向けた。
あら!
十号が思わず声を上げた。
やあ十号! 相変わらず綺麗ですね!
それは、あの海豹男だった。
舘で自分を堪能した男だ。
丸顔で、目が大きく、黒い瞳が潤んでいてくりくりしている。
どことなき愛嬌があり、憎めない顔つきだ。
十号は当然、男の名前も素性も何も知らない。
なぜここに?
十号が問う。
男はにやりと笑って、
企業秘密だよ
とそっけない。
獣を構えた二人は、バンガローの奥の雑木林を、手際よく安全を検証している。
パパが海豹に手を伸べる。
二人は旧知のようで、固く握手する。
「相変わらず元気そうで!」と海豹。
「君こそ!!」
そう言って二人は十号にちらりと視線を投げる 。
二人の目が笑っている。
互いに十号との関係を知っているようだ。
「危機一髪だった。奴らも本気を出して来た」海豹が言う。
「ありがとう。日本も居づらくなってきたようだ」パパが答える。
沖の希望号に目をやると、後部のエンジン部分から火が上がるのみで、火は消えている。
もう一艘の男たちが消火したのだろう。
その上空を軍用ヘリがプロペラの音を立てて、こちらへと向かって飛んでくる。
十号と夏希さんはヘリに乗ってください。パパは俺たちのボートへ。武史君は後に残って事後処理を頼む
OK! 武史が答える。
帆走で帰港するよ。厄介な事務処理や、裏の手配はお任せします。
と、武史。
任せとけ、それはこちらの専門だ、すぐ済むよ。
海豹が目をくりくりさせて云う。
海豹が言い終わらない内に、パタパタパタパタとヘリコプターが頭上でホバリングし始めた。
強い風が吹き降ろしてきて、十号と夏希のガウンをはためかす。
二人のセクシーな水着と肢体が風に吹き曝される。
ヘリの胴体から、救助員がロープにぶら下がって降りて来た。
男がまず、夏希にっ救助用ロープを巻き金具を付け、華奢な胴体を抱えて吊り上げ、ヘリの内部に消える。
続いて再び男が降りてきて、十号を抱えて宙に吊り上げる。
眼下で、武史とパパと海豹が手を振っている。
遠くに煙にくすぶる希望号が見える。
短時間で十号はヘリの中に引っ張りこまれた。
思ったより中は広いく、前方にコクピット、胴体の左右に簡素なベンチがあり、エンジンとプロペラの轟音が響いている。
操縦士と、その背後に一人、胴体の部分に二人、合計4人の迷彩服の男たちがいる。
夏希が簡易ベンチでタオルケットにくるまっていた。
不安そうな表情を浮かべていたが、目が合うと、瞳をきらきらと輝かせて子供のように笑った。
十号にもタオルケットが渡された。
強烈な風で体が冷えていたが、タオルケットが温かく包んでくれた。
これをヨット救助の連中からから預かって来たよ
タオルケットを渡した男が、二つのバックを渡した。十号と夏希がヨットに放置してきたレジャー用の帽子トートバックだ。
わーっ、ありがとう!
夏希が歓声を上げた。
命の次に大切なバッグよ、ありがとう!!
十号も素直に喜んだ。
お化粧品と、下着と、衣類よ。
中は見なかったでしょうね。
十号が男を見上げて意地悪な質問をした。
勝手に見えちゃったよ。
可愛いく、ぐしゃぐしゃで小さなブラとパンティーだね。
男がにやにや笑っている。
精悍な顔があった。
スケベ―
と、十号は言ってアッカンべーをした。
そして、
あれ?
と、微かな声を上げた。どことなく見覚えのある顔だ。
すると男は両手で顔を覆い、中指と薬指の間に隙間作り、仮面のような形を作った。
その奥に黒い瞳が光沢を放っている。
仮面の下の顔半分がにやりと笑う。
あーっ!
十号が声を上げた。
あのカーニバルの仮面の男だ。
なぜここに?
仮面男が答えた。
企業秘密だよ。
パパと武史はどうなるの?
夏希が不安そうに首を振る。
パパさんは別動隊で安全な某所へ。
武君は、帆走して自力でヨットハーバーへ。
面倒な自己手続きは仲間のプロが片付けてくれる。
で、私たちはどこへ?
十号が訊く。
安全な所へ降ろしてから、車でごそれぞれの五自宅までおりしす。
私たちの車はどうなるの?
さらに夏希が心配そうに訊く。
仲間が、借りたところへ返しに行きます。心配なく。
窓の外を見ると、相模湾の海が西日を反射して銀色に輝いている。
太平洋側にはそそり立つ積乱雲が群れを成している。
陸地の遠くには山並みの黒い影が連なり、さらに左側の遠方に富士山の小さな姿が見える。
これ、自衛隊機よね?
だったら厚木基地へ向かってるの?
十号が旺盛な好奇心を出して訊く。
今日の人は覚えてませんよね?
何も知らない。
そうでしたね、十号。
カーニバル仮面男がいきなり、青髭のルールを持ち出した。
その顔はしかし、親し気に微笑んでいる。
十号はルール通りいつものように答える。
はい。
何も覚えていません。
何も知りません。
ヘリコプターは傾き始めた陽を受けながら、パタパタと空を叩いて北北東へと進路を取った。