私は十号。超高級娼婦。青髭の館。

私は十号 200.高級娼婦についてのメモ

娼婦とは

太古から娼婦は存在する。
性的価値を金銭に変える商売であり、いわゆる売春である。
それも不特定多数の相手を対象にして行うものである。。
売春は、一過性的な契約のであり、双方の同意があって初めて成立するものだ。だから契約の締結、解除も自由である。
ただ、世の常として、組織売春と呼ばれるものがあり、ある組織の束縛の元で、売春を強要されることが多いのも事実だ。
これは完璧に犯罪である。
一方で売春者に対しては罰則規定が無い。

愛人契約とは

愛人と呼ばれる関係性と風習も古くからある。
特定の対象者とだけ(準)契約する行為である。
特定の相手と契約を結び、契約に基づいて性愛的奉仕を行う。
いや、性愛的奉仕だけに留まらない場合も存在する。妻であり、家政婦であり、人生のパートナー的な分野まで包含する場合もある。昔風に言えば、お妾(めかけ)さんである。
ただし、法的には「愛人契約」というものは成立しない。
日本では法律婚主義を採用しており、配偶者以外の対象者と関係を結ぶことはできない。
芸能人の不倫が問題になる法的根拠はこの「法律婚主義」から来ている。
愛人契約とは、言い換えると「不法行為をするための契約」、という事になり、根本的に契約は成立しない。
ただ、私的契約、準契約が存在するのみで、法的規制は発生しない。

愛人契約。ロングセラーです。




小説「私は十号。高級娼婦」について

男の願望の一つに、「やりたい時にやりたい。やりたい人とやりたい。」というのがある。
だから男は様々な機会や場所を渡り歩く。
バー、スナック、パブ、キャパクラ、ソープ、デリヘル ――――
これら風俗の裏実体には売春行為が存在する。
当然日本では売春は認められていないが、実質は様々なケースや法の目をくぐる手法が存在する。
出会い系クラブ、交際クラブ、パパ活クラブであり、実店舗型、ネット型、多種多様だ。

「私は十号」はその多様な性的交際市場の中で、
「高級」「セレブ」「秘密」のコンセプトを追求した娼婦・売春の小説である。

高級 必然的に高額品となる。最低でも一晩十万円。多いのが30万円。高いのは50万円以上。
セレブ対象 顧客は必然的に高額所得者となる。社会的地位も高く、有名人も多くなる。対象はだからセレブが多い。
秘密厳守 顧客は有名人や、斯界の有力者が多い。そのため、秘匿性、守秘性が必須となる。買い手、売り手双方に厳しい守秘義務が課せられる。

高級娼婦の条件

では、何をもって高級とするのか。
①容姿端麗であること
②性技に長けていること。
③立居振舞に品格があること。
以上は高級と呼ばれるための必要条件である。
僕はここに、さらに条件を加える。

いわば、高級であることの十分条件だ。

僕の考える、高級であることの十分条件は次の2点だ。
④顧客と同等か、それ以上の高級感を提供できること。
⑤夢を見させる能力がある事。
この2点だ。

特に⑤夢を見させる能力が、結構難しい。
相手が描く願望と志向と嗜好を満たさなければならない。

・自分の名誉やプライドを満たしてくれること。
・エリートゆえの、セレブゆえの自分の高貴な悩みに寄り添えられる事
・自分だからこそ買えた高級品(娼婦)だ!という優越感を満たしてくれる事、等々

こう見るとメンタルな欲求が多いことが分かる。
言い換えると、高級娼婦とは高いレベルで、自己肯定感を与えてくれる存在、だと言える。

因みに、夢を見させる行為としては、性癖の実体化つまり、SM、緊縛、鞭打ち、浣腸、脱糞、排尿等の凌辱、加虐プレイも含まれる。その場合、リアルな世界でそんな行為があるとすれば、娼婦は、高級品ではなく、特別な性癖を満たしてくれる希少価値商品、だから高額、という価格設定となるだろう。
作品世界で、そのような夢を見させてくれる商品の傑作が数々ある。

しかし、僕の小説では、凌辱、加虐プレイ等は排除される。
僕の性癖と嗜好の問題だろう。
どうしてもある一定の線を超えると、嫌悪感を感じ、空しさを感じ、自分自身の価値喪失感を感じてしまう。
僕には、尊厳破壊が出来ないのだ。
簡単に言えば、僕は性的には、”うぶなねんね”なのだろう。

加虐。凌辱。奴隷

幅広く、文芸の世界を人気ランキング的に見渡すと、有名作家群に加えて、無名作家の官能小説、中でも、凌辱加虐系の作品が上位に食い込んでいる。
つまり、需要が多いのだ。
あまり、この世界の作品は読まない僕だが、贔屓にし、敬服している作家さんがいる。

貴島璃世氏だ。

しかし、貴島氏の作品群は、過激でだけど、汚らしくない。
その文体には透明感があり、時には耽美的でさえある。
それが、僕がファンになった理由だ。

貴島氏の作品では、虐待加虐性交、凌辱緊縛、浣腸脱糞、鞭打ち、等が繰り広げられる。
うぶなねんねの僕には耐えられない場面も続出する。
そして、僕はうぶなねんねとして、手で目を塞ぎ、指の隙間から、恐る恐るその世界の光景を読み続けてしまうのだ。

官能小説の大家と呼ばれる宇能鴻一郎の「姫を喰らう話」をかつて読んだことがある。
その文体のリズム、語彙の豊かさ、意味の重層性、ストリーの速さと深さ、そういったものに感動を受けた。

が、貴島氏の作品は、その真逆の、レイモンドチャンドラーを祖とする、ハードボイルド小説の世界を思わせる。
特に短編集では、その色が濃い。
文体の力で、あれよあれよとページを捲らせてしまう。
ストーリーも破綻せず、次々と読者を惹きつけて離さない。

何を言いたいかと言うと、
うぶなねんねの僕にも、作品の質によって、加虐凌辱世界の誘惑を深く感じ、強烈な引力を感じてしまうという事だ。
でも僕は、自分の作品世界では、加虐凌辱は排除する。

官能。歓び。高みへ。

大袈裟に言えば、僕が書きたいのは悦楽の尊厳だ。

性愛を通じ
相手と融合し
互いに高まり
絶頂の果てを
互いに潜り抜け
やがて遥か彼方へと
意識を飛び立たせる。

そんな世界を描きたいのだ。
挑戦を続けるしかない。

加虐凌辱ではなく、エロスの匂い香り立つ作品を書き、そこそこの需要を獲得し、ご褒美の報酬を得ること。
それが僕の書く理由です。

私は十号。超高級娼婦。青髭の館。


今、制作中の作品はこれです。
乞うご期待。

-私は十号。超高級娼婦。青髭の館。