愛人契約

愛人契約58.朝、パパはハニーからの緊急連絡を受信。

2022/07/23

遠い潮騒の中で電話が鳴っていた。
朝六時頃だった。

桐野剛一は、誰だ今頃、と脳裏で呟きながら電話を取った。
頭の中に軽いアルコールの残滓が残っていて不快だった。
隣にはシーツにくるまって裸の由香里が軽いいびきをかいて眠っていた。

「もしもし凜です」
相手が名乗った。若い女の声だった。
剛一は昨夜の椎名との話を思い出した。
某国の諜報員に追われている椎名の部下の女だった。
ハニートラップを仕掛け軍事機密情報を盗み出したがそれが発覚して今逃走中のはずだ。

「今、タクシーの運転手さんに助けてもらっています。暫くの間彼の援助が必要です。彼はふざけていると思っています。彼を説得してくれませんか?」
剛一のスマホには盗聴防止のプログラムが作動していて微かなノイズが混じっていた。ノイズ越しに聞こえてくる女の声には切迫した響きがあった。
「分かった。その人の名は?」
「松岡さん」
「オーケイ。電話を代わってくれ」
凜が男と替わった。

「松岡さんですか?突然のことで怒っておられるでしょうね。」剛一が言った。
「あんた、誰だよ」そう言う松岡の声には棘があった。
「凜に代わってお詫びします。」
「あんたと凜はどんな関係だい」
相手は剛一が女の名前を呼んだために不信感をすこし和らげたようだった。
「私の大事な部下です」
剛一は嘘をついた。
しかし、椎名との関係で言えば、彼から彼女の救出を依頼されているのだから、自分の部下同然だと考えた。
「凜は一週間もすれば必ずあなたの前から姿を消します。決して犯罪者とかじゃありません。大事な役目を負っているとしか今は言えません」
「そんなこと誰が信用するんだ」

剛一は単刀直入にオファーを出した。
「ごもっともです、申し訳ありません。一週間の生活費と行動費、百万円を即振り込みます。」
「百万円?」
「一週間後に、凜が無事姿を消した後、更に百万円お支払いいたします。」
「そんな話、信じられん。あなたは何者だ。そして凜は何者だ」
「彼女は重要な情報を持っています。その情報は世界に大きな波紋を呼ぶ情報です。凜はこのままだと命の危険に曝されるんです」
「いくらでも作り話はできる。ややこしい事件には巻き込まれたくない」
「あなたは既に事件に巻き込まれています。でも心配はいりません。私どもが必ずその事件を解消します。そのためにも彼女を1週間だけ面倒を見てやって欲しいのです」
「あんたたちの事情などどうでも良い。俺は面倒なことは嫌だ」
「じゃ、あなたの銀行口座を教えてください。今すぐ百万円振り込みます。それからでも遅くありません、一週間だけ凜の面倒を見るか放り出すか判断してください。ちなみにネットバンクの口座があれば便利なんですが。」

暫くの間、沈黙があった。
松岡はこの話を信用するのか否か、この金額の意味は何なのか、いろいろ思案を巡らしているらしかった。
剛一が待っていると、相手の声が復活した。
「分かった。とりあえずネットバンクの口座を言うよ。」
そう言って、松岡は銀行名と口座の番号や名義を剛一に伝えた。
「了解しました。五分後、スマホからでも口座の内容を確かめてみてください。」
剛一は続けて言った。
今度は厳しい語調だった。
「次に大切なことを言います。必ず実行してください。車を会社に戻した後は、一週間は会社を休んで下さい。会社には行かないで下さい。」
「何だと。一週間も休んだら下手したら馘になってしまう」
「大丈夫です。その後は私たちが修復します」
[ふざけてるんじゃないよな。口座は確認する、切るぜ」
そう言って松岡は乱暴に電話を切った。

剛一は即座にスマホで先ほどの口座へ百万円の送金手続きを取った。

隣の由香里がシーツの中で寝返りを打った。

剛一がこのクラブハウスに戻ったのは朝の三時だった。
由香里は美希の部屋で互いに裸で絡み合って眠っていた。
「あーあ」と遼介が言った。
「担いで帰るよ」
剛一はそう言って、森で仕留めた獲物を扱うように、裸の由香里をシーツから引きずり出して担ぎあげ、二人の部屋へ運んだのだった。

剛一はシーツの中に指を滑らせ、眠りに沈んでいる乳房をそっと撫で、形のいい唇に軽く接吻した。