藤枝と親密な関係を結んだのは、五年程前のことだった。
私は、今の会社の広告制作局ある部署の端っこに、制作アシスタントとして勤務していた。
その時の直属の上司が藤枝部長だった。
藤枝は、幾つものコンペで幾つものクライアントを獲得していた。
発想力、企画力、そして説得力は群を抜いていた。
学生時代はラグビー部に属していて、がっしりした体格だった。
私は彼のアシスタントとして、一緒に、得意先やスタッフの間を駆け回った。
コンペに勝つたびに、私たちは二人だけの祝杯を挙げた。
彼の前には光しかなかった。
藤枝は、私より二十歳年上だ。
そのころは、美しい奥さんと、可愛い高校生のお嬢さんの三人暮らしだった。
そんな家庭があるのを知っていて、私は藤枝に恋をした。
そして、抱かれた。
それまで、学生時代からのの恋人がいたが、藤枝と比べると、すべてが幼稚だった。
若さからくる、性処理行動と愛を混同しているに過ぎなかった。
出会えばすぐ、私を抱き、性交し、射精し、終わった。
藤枝とのセックスは、大人のセックスだった。
私の心と体を優しく解きほぐし、開き、快楽への欲望を引き出し、私の存在を高みへと変えていった。
私は大胆になり、貪欲になり、体の全てを投げ出した。
身体を投げ出しながら、私は彼を味わった。
藤枝は精悍な中年だった。
意志の強そうな唇を味わい、舌を味わい、唾を味わった。
ジムで鍛えたな胸を舐め、腹を舐め、そして怒張した蛇を咥え、喉奥まで導き、白濁の熱い液を飲み下した。
私は幸せそのもだった。
そんなある日の事だった。
クライアントとの会議の後だった。私は藤枝の車に乗っていた。
大きな交差点だった。
赤信号で停車し、私はそそくさと車を降りた。
ドアが締まると、やがて青信号に変わった。
藤枝が車を出し、交差点の真ん中に差し掛かった時だった。
左から大型トラックが徒然突っ込んできた。
アッと思う間もなく、藤枝のセダンが吹き飛び、落下し、そして、爆発的に炎上した。
炎上したドアが開き、中から炎に包まれた藤枝が転がり出てきた。
後続車が次々と停まり、車と人でごった返した。
人混みの中から、一人の男が消火器をもって駆け寄り、泡を吹きかけ、藤枝の火を消した。
消火器の泡の中で、藤枝は炭のようになって転げまわった。
人混みをかき分けて駆け寄ると、藤枝は苦しそうに、私に手を伸ばし、助けを求めた。
私は無意識にその手を掴んでいた。ずるりと皮膚が向けた。
私は
キャー
と悲鳴を上げていた。
救急車が来るのに十分とかからなかった。
藤枝は直ちにタンカーに乗せられた。私も後に続いて救急車に乗った。
藤枝は一命は取り留めた。
あの、一人の男の、迅速な消火器の噴射のおかげだった。
後で聞いたが、その人は後に市と消防署から表彰されたそうだ。
しかし、失ったものは大きかった。
手術の後、顔は、化け物よりはましになったが、ボクサー犬のようになった。
身体中が火傷しケロイドが走った。
身体は、いびつな人体模型のように無残な姿となった。
特に、下半身の火傷が酷く、足腰が変形した。
ペニスは焼き焦げ、根元から切断せざるを得なかった。
辛うじて、陰嚢は救われたが、火傷で著しく変形した。
精悍な貌と体は永久に失われた。
そして、家族も失われた。
あまりにもの無残で怖ろしい姿に、まず娘が拒否反応を起こし、やがて妻も、変わり果てた夫を疎ましく思い始め、結局離婚した。
事故の後、一年ほど藤枝は会社を休んだ。
私は、彼が入院した時から、そして離婚した後も、ずっと、彼を見舞った。
彼は個室で絶望的な日々を過ごしていた。
ある日、彼を見舞うと目に大きな涙を浮かべて
「もうだめだ」と言って、子供のようにわーわー泣いていた。
私も切なかった。
藤枝という超有能な男、そして恋した男が今消えようとしていた。
私を高めてくれた藤枝に、お礼と感謝の意味を込めて、恐る恐る、ボクサー犬の唇に軽く接吻した。
すると彼が突然私を抱きしめた。
分厚いボクサー犬の唇と舌が私を求めた。
異様なものに対して本能的に反応する、ぞくっとした慄きが、背筋を走った。
しかし私の身体は素直に、醜くおぞましい彼を受け入れた。
身体が受け入れた理由は、愛情からか、彼から仕込まれた肉体の喜びからか、それは分からない。
でも、何かしらの覚悟があった。
私はこのボクサー犬と一生つきあうのだ。
そう直感した。