私は十号。超高級娼婦。青髭の館。

私は十号 002.超高級娼婦 十号誕生

 翠(みどり)はスイミング仲間の由梨と半年ほど前から軽く体を触り合う仲となっていた。ソフトなレズとでも言おうか。
 由梨は時々翠を自宅に招き、美味しいケーキとコーヒーを振る舞った。いつも午後三時ころ、けだるい時間帯だった。
 
 ある日、由梨が話を持ち掛けた。
 コーヒーを飲み終わった後由梨が翠の後ろに回って、さりげなく抱き締め、髪の中に顔を埋めた。

「由紀、素敵な出会いしてみない?」
「何それ、私には夫がいるわ」
「夫は夫、凄いアバンチュールが出来るのよ」
「??」
「世界のVIPやセレブに出会えるの。素敵な食事会話を愉しみ、そして……」
「そして?」
「愛し合うの」
「……」
「お小遣いも入るの」
「出会いクラブ?」
「超高級のクラブよ。完全な秘密クラブなの。入会審査はとても厳しいわ。でも、翠ならすぐ会員になれると思う」
「由梨も入ってるの」
「入ってるわ」

 由梨が紹介したのは、VIP対象の超高級出会いクラブ「翠の館」だった。
 このクラブは完璧に秘密が保たれていた。
 広告宣伝類は当然一切なく、口コミや噂にも上らず、その存在は誰にも知られていなかった。
 ただし、組織から認められ信頼されているメンバーだけが、勧誘のためにその存在をほのめかすことが出来た。

 男女とも会員になるにはまず紹介者が必要だ。そのあとネット回線を通じて、運転免許証やパスポート等の提示を求められ、厳密な人物チェックを受ける。
 第二次チェックはスタッフによるリモートの面接で、容姿はもとより、話し方、立居振る舞い、教養度などをチェックされる。
 スタッフによる面接にパスすると、最後はボスと呼ばれる運営総責任者との直接面談だ。

 翠は由梨に誘われた後、面白半分で会員に応募した。世界のVIP、アヴァンチュールという言葉に惹かれたのだった。
 とんとん拍子で、ボスの最終面接まで進んでしまった。

 面談の部屋はこじんまりしていたが優雅な部屋だった。
 豪華な執務机を挟んでボスが翠を見詰めていた。
 ボスと言う響きから、てっきり男性かと思っていたが、その人は翠も知っている、往年の女優だった。エキゾチックな風貌で一世を風靡した名女優だった。

 向かい合っているボスの顔は、張りと艶があり眼もきらきら輝いている。しかし、全体は老人特有の丸みがあり、肉はだぶついている。濃い口紅がひときわ目立つ。時間の残酷さを感じさせる。でも気品は失われていない。

「水泳と天文学が好きですって?」
「はい」
「水泳が得意なのは、あなたのその姿から分かるわ」 
 翠は八頭身、あるいは九頭身の均整の取れた体形だ。
 女性にしてはやや肩幅が広いが、贅肉は無く、背中から腰へ繋がる曲線は美しく流れてセクシーだ。男心を限りなくくすぐる。

「でも、なぜ天文学なの?」
「兄の影響です。兄は天体望遠鏡を大事に持っていました。ある寒い夜、土星の輪を見せてくれました。真っ暗な宇宙の中で、おもちゃのような琥珀色の球体が浮かんでいて、それを麦わら帽子のツバのような輪が取り巻いている。輝いている姿はまさに宝石でした。神秘的でした。それからずっと宇宙の姿に魅入られて来ました」
「いま、お兄さんは?」
「私に土星を見せてくれた翌年、死んでしまいました。高校一年生でした」
「そうなの」
 そう言って、ボスはその鋭い目で翠をじっと見詰めた。人の心の奥底まで貫く視線だ。
 そして、その視線はねっとりと翠の全身を舐めた。

 髪型はショートボブ。漆黒の髪。黒く輝く瞳。鋭い目元。意思の強さを感じさせる唇。薄いピンク色の口紅が奇妙に艶っぽい。
 顎から首元にかけての涼やかな線。完熟前の女体、その瑞々しくはち切れる喉元と鎖骨。透き通るような肌。
 大きくはないが美しい形でブラウスを押し上げている乳房。
 ベージュのパンツスーツの腰の動きはしなやかで優雅。
 ハイヒール姿が、眩しいほど色っぽく且つ凛々しい。
 ボスは、翠が部屋に入って来た時から、厳しい視線で全てを舐め回していた。
 それはまさに、仕入れ商品の品定めであり、品質チェックだった。
 
 ボスは翠の来歴や家族構成、趣味、特技などを第一次面接資料を基に、改めて要点だけを訊き、確認した。
 名前。野際翠。
 二十七歳。既婚。某4年制大学、地球惑星物理学科卒。現在は専業主婦。
 夫。野際泰斗。
 三十三歳。某4年制大学、情報科学研究科卒。情報科学准教授。
 今は、某IT企業の社外技術開発役員を兼務。日米で注目されている有数の人物である。
 
 翠はいろいろ訊かれながら、ふと今の自分を振り返った。
 翠は夫の強い願いの下、やりがいを感じていた学問の世界を放棄して専業主婦となった。
 夫の泰斗にすれば、あまりにも美しい妻が外の世界で男たちの視線と誘惑にさらされるのが怖かったからだろう。
 泰斗の毎日は忙しく、海外出張も多い。二人はもう1年ほどもセックスレスとなっている。
 当然、二人の間にまだ子供はいない。

 ある意味、翠はほぼ独身で、夫の世話や子育ての雑事に追われることもなく、優雅な日々を満喫している。
 しかし、知的好奇心、広大な世界への好奇心がマグマとなって蠢いていた。
 それが、この出会いクラブへと応募させた、無意識の理由だった。
 いや、燃えるような性への欲求だ、性欲だ。聡明な翠は薄々自分でもその隠された本当の欲求に気付いていた。 

 ひと通りの質問と聞き取りが終わった後、ボスが立ち上がり、翠の前に寄って来て、薄いゴムの手袋をはめながら、命じた。
「口を開けてみて」
「え?」
 翠は驚きながらも言われた通り少し口を開いた。
 するとボスはいきなり翠の薄い唇を捲り上げ、歯肉を剥き出しにして、指をゆっくり入れて来た。軽い圧をかけながら、前から奥へと容赦なく指がなぞっていった。翠は思わずえずいた。
「がまんしなさい」
 ボスは冷徹に命じた。
 指は歯肉から舌へ、舌の奥、喉の入り口へと進んだ。翠はとうとう我慢しきれずに激しく咽て、指を吐き出した。
「ごめんなさいね」
 ボスは短く言って、机を回り込み、再び翠を前にして座った。
 そして、ボスは改まって緑の館のルールを簡単に説明した。

 ・「翠の館」はセレブ同士が出会う秘密の空間である。
 ・当クラブは会員同士の出会う機会を提供する。
 ・会員は男女とも紹介者を必須とする。
 ・出会った者同士は独立した人格として何をするかは自由である。
 ・出会った者同士は原則として直接金銭の授受をしてはならない。
 ・男性会員は会へ会費を納める。
 ・女性は会費を免除される。
 ・会は同会の品質維持と会員のプライバシー保護のため、一切の情報を秘密とする。

 説明の後
「翠さん、合格です」と事務的に言った。
「わっ…」
 翠は驚きの小さな声を上げた。
「そして……」
と、ボスが付け加えた。
「あなたは今から十号です。会では十号と呼ばれます」
「はい」

 そう答えながら、翠は脳裏で「私は十号」と唱えてみた。自分の中から新たな人格が現れて来るようだった。

****

本編はこちら

-私は十号。超高級娼婦。青髭の館。