剛一のスマホが胸ポケットの中で振動した。
そっと取り出してみると由香里からだった。
めったに電話してこない彼女からの呼び出しが緊急事態を予感させた。
WWIT社の会議室だった。
桐野剛一は他の重役と共に、若手プロジェクトチームのプレゼンテーションの場にいた。
総勢五十名程度の熱気あふれる会議室だった。
リーダーが発表している内容は剛一にとって興味深かった。
テーマは、自社のナノサット人工衛星を打ち上げた場合の、市場獲得戦略についてであった。
ナノサット型とは十キログラム以下の人工衛星で、ミッション特化型の小型人工衛星である。
大手製薬メーカーからの宇宙での製薬実験、鉄鋼メーカーからの宇宙空間での金属疲弊度調査、某国からの某所の詳細地図データの作成依頼、厚労省からのiPS細胞による脳神経細胞の再生実験、等々。多種多様な実験需要が見込まれていた。
それを低コストで行うことが最大の武器となっていた。
隣でプレゼンを聞いている財務担当部長にそっと耳打ちした。
「申し訳ない、少し席を外すよ」
そう言って剛一は、身をかがめて会議室を抜け出した。
スマホを耳に当てると由香里の悲痛で沈んだ声が聞こえてきた。
声はただ、パパ、パパ、パパと繰り返すだけだった。
廊下を出てすぐの所に階段の踊り場があり、壁面はガラス張りで、東京の暮れなずむ空が見渡せた。
「どうした?何があった?」
剛一が問いかけても、パパ パパ パパという声しか聞こえなかった。
「泣いてるのかい?」剛一が聞いた。
それを合図にしたかのように、電話の向こうで泣きじゃくる声が聞こえてきた。
「今どこだ、すぐ行く、とにかく場所を教えなさい」
桐野剛一はビルを出るとタクシーを拾った。
夜八時になろうとしていた。
何とか聞きだした場所は、ここら車で三十分程度の、夜の繁華街の外れの公園だった。
「いいか、もうすぐ着く、そこを動かないで、待ってて、しっかりして」
車中で何度も由香里を励ました。
繁華街を横目に見て車は走った。
初めて由香里を見た繁華街だった。
由香里はその繁華街から車道へと走って来て、たまたま停車していた剛一の車のドアを叩いた。
「お願い。乗せて。助けて、追われてるの、お願いです、早く、お願い」
その時の切羽詰まった顔が思い出された。
今回も彼女が、何かの危難に会っているのだ、と確信できた。