怪傑ハリマオを知っているか?

僕はターバンを作って友達を追いかけた

僕が中学生の頃、モノクロTVの画面で、勇壮な男が馬に鞭打って疾走していた。
どこか知らない南方の国だった。
濃いサングラスを掛け、今でいえばアロハシャツ的な軽快なシャツをたなびかせ、不敵な笑みを浮かべて疾走していた。

怪傑ハリマオ だった。

話は分かりやすかった。

平洋戦争直前。東南アジアは欧米諸国の植民下にあった。
ジャワを支配する某国の軍事機関「ジャワ統治庁」はひそかに東南アジア全土の征服を企てていた。
ハリマオはこのジャワ統治庁圧政下で苦しむ民衆を助けにやって来るのだった。

ハリマオは、時には馬で駆け付け、時には像に乗ってやってきた。
悪い連中との戦いは、時には森の中、時には海上、時には宝物が眠る神殿の跡だった。
ハリマオは勇敢で、明るく、強かった。

ハリマオが馬上で疾走する時、三橋美智也の少し甲高い声が朗々と響いた。

後で明かされるが、ハリマオは海軍の将校だった。
それが僕には眩しかった。

僕にはその国がどこかは分からなかった。
歌にも歌われた「南国」の何処かだった。
その国で、ハリマオは煌めいていた。

今考えると不思議な映画だ。
ハリマオが初めて放映された1960年4月は、終戦後から僅か15年程度が経った頃だ。
原爆を落とされ、アメリカに叩き潰され、武装解除され、日本的な文化と感性を否定された10年後の日本だった。

当時、世の中は「日本人の行った悪い戦争」つまり自虐史観が一世を風靡していた。
日本人は、中国、東南アジアで残虐非道な戦争を遂行したというものだ。
それはGHQの占領下で行われた「東京裁判」で裁かれ、日本人は世界に向けて謝罪を強いられた。

その悪人日本人が、舞台は戦前とは言え、ジャワなど東南アジアの国で、民衆の解放のために西欧の悪人どもをを懲らしめているのだった。
自虐史観を標榜し喧伝する者にとって、ハリマオは歴史を歪める物語だと思われたかもしれない。

僕はその後大人になって、戦後の歴史や、国際政治の変遷、特にソビエトと中国の共産主義とアメリカ西欧諸国の資本主義の戦いの実情を知って行った。
自虐史観では済まされない歴史的な出来事を多く学んだ。

この怪傑ハリマオは、自虐史観を吹き飛ばす、爽快な調べとなって、僕の中で鳴り響いている。

怪傑ハリマオ
昭和35年(1960年)4月5日 – 昭和36年(1961年)6月27日まで日本テレビ系ほかで放送されていた日本のテレビ映画である。(Wikipedia)
ハリマオ
ジャカルタやマレーなどの南洋諸国(第1 – 3部および第5部)や、中国大陸(南蒙=南蒙古、第4部)で活躍する正義の人。頭を白いターバンで巻き、黒いサングラスをかけた姿で部下と共に颯爽と登場する。武器は拳銃で、馬で移動する。正体は日本の海軍中尉大友道夫。
太郎
日本人の少年。姉を探しにジャカルタに来てハリマオに出会う。拳銃の早撃ちが得意であり、ハリマオの窮地を救うことも。第4部で、蒙古から来たカサル少年に拳銃を譲る。
ドンゴロスの松
ハリマオの部下。ハリマオと同じ日本人。山田長政の子孫を名乗る。正体は日本海軍一等兵曹、山田松五郎。
(Wikipediaより)