奴は敵だ!敵を殺せ! この深層を乗り越えられるか?


スタンリー・キューブリック。2001年宇宙の旅。

奴は敵だ!敵を殺せ!
これ、埴谷雄高氏の名言です。
実にシンプル!
実に普遍的!

人類が、いや、共同生活を営んできた生き物が
絶対のテーゼとして叫んでき言葉です。

コミュニティーのアイデンティティーを一気に高めるにはこの上ない強力な言葉です。
コミュニティー=家族 仲間、村、町、県、国家・・・
言わば共同体です。
この言葉が持つ、共同体を内部結束させる力は強烈です。

私たちはこの言葉を超える言葉をまだ獲得していません。
ヒューマニティーと呼ばれる価値観がありますが、地球の一部の地域の西欧で唱えられているにすぎません。

唯一獲得出来たかに見える言葉が「平和」です。
しかしこの言葉にも力がありません。
空しく汚れてさえ見えます。
国際連合が弱いのは、国際的コミュニティーを形成できずにいるからです。

ただこの世界的にコミュニティーとまでは行かなくとも、相互理解を実現出来るのは芸術だと思っています。
文学、音楽、映画、絵画等々です。
しかし、この考えも甘いと言われそうです。

芸術もコミュニティ内部の戦意高揚手段として使われて来たのも事実です。
第二次世界大戦中、 日本をはじめ ドイツ イタリア イギリス アメリカ ソビエト などなど ほとんどの国が、絵画や映画、 文学 音楽などを総動員して内部結束固めに使って来ました。
国家が戦時中に排斥してきたのも、 敵の映画、音楽 絵画 文学などの文化芸術です。

やつは敵だ、 敵を殺せ!
に対抗できるのは ある意味 自分の知性 しかありません。
この知性が敵の内部理解を深めるのです。

しかし、敵の内部理解を推し進めること、敵を理解することは敵を利する行為だと見なされます。
この場合 自分の知性の敵は自分が属する政府であり コミュニティとなってときます。
どこまで行っても、奴は敵だ!の堂々巡りが襲ってきます。

では どうするのか?
甘いかもしれませんが 自分の良心に基づいて
奴は敵だ!
敵を殺すな!
と主張することです。
それがどんなに小さい声であっても消さないことです。
人はそこから豊かな精神と抵抗文化を築き上げて来ました。

歴史上にはこの抵抗文化の遺産が数多く残されています。
私たちはそこから、限りなく知性と知恵と勇気をもらうことが出来ます。
ここに未来への手がかりがあると信じています。