愛人契約

愛人契約50.愛人契約の基本原則。幸せを追及してはいけない。

スコールは十分ほどで通過していった。
海上には再び広大な青空と積乱雲が広がった。
陽は西に傾き始めているが、厳しい暑さだった。
剛一と由香里は直射日光を避けて、操舵室の椅子に並んで腰かけた。

「二人とも遊びに飽きないのね」
由香里が、シュノーケルを楽しんでいる、遼介と美希の小さな影を見つめながら言った。
「美希は沖縄生まれで沖縄育ち。だから泳ぎや海遊びが大好きなんだ」剛一が言った。
「遼介さんは?」由香里が訊いた。
「彼は、元の職場で、徹底的に海の訓練を受けた。だから何時間でも海で過ごせる」
「元の職場って?」
「自衛隊だよ」

剛一は由香里の肩に手を回した。
由香里は剛一に身体を預けた。そして条件反射的に、剛一の水着の上から大人しくしている蛇に手をやった。
そして優しく上下に撫で始めた。
昼のスワッピング後から既に四時間ほど経っている。
剛一のパワーは回復していた。
由香里の手の下で蛇が鎌首をもたげ始めた。

「パパ、由香里のこと、好き?」
由香里の声が甘く濡れていた。
「大好きだよ。それに、由香里は俺の毒物だ」
「私もパパが大好きよ。」
そう言う由香里の頭を抱き寄せ、剛一が接吻した。
由香里が剛一の舌を吸った。
唇を離して由香里が言った。

幸せ・・・

幸せ、という言葉を聞いて、剛一は両手で由香里の頭を挟んで、その顔をじっと見つめた。
由香里は目を閉じていた。
海の水とスコールで顔は洗われていた。
もともと、今朝の早朝のホテルの浜辺の散歩からこの方、由香里はすっぴんだった。
剛一はすっぴんの由香里が好きだった。

ショートカットの下の理知的な額。
力を感じさせる眉。
何かの夢を見ているような閉じた瞼。
潤んだような憂いたような唇。

「由香里・・・」
剛一は由香里に呼びかけ、そして静かに言った。

俺たちは愛人契約を結んでいる。
ただ、この愛人契約は、由香里を占有することじゃない。
由香里の全生活を拘束するものではない。
俺が会いたいときに会う、優先権を約束するだけのものだ。
いいかい、これだけはしっかり聞いて欲しい。
愛人同士である限り、俺たちは、いつか、必ず分かれる日が来る。
いや、別れるべきなんだ。
だから、俺との幸せに浸っては駄目だ。
幸せを追い求めてはいけない・・・

二人の間に暫くの無言があった。

由香里は衝撃を受けていた。
「幸せを追い求めてはいけない」
という剛一の言葉が、体の中で鐘のように鳴り響いていた。

幸せを求めてはいけない。
幸せを求めてはいけない。

由香里は必死で自分に言い効かせた。
とても悲しかった。

剛一の手の中で、由香里の閉じた目の端から、涙が流れていた。

-愛人契約