スワッピング・悦楽の四重奏

四重奏36 根回しのおぞましい予感r

2021/04/26

夫婦交換が終わったのは土曜日の午後だった。
週が変わると、私は再び目まぐるしい時間の波にのまれた。
私は、あの濃厚で痙攣的な悦楽の記憶を脳裏から削除した。

月曜日。
私はいつもの制作局第一部統括部長深見由希に戻っていた。
葉月恭介からシャノン監督との合意内容がメモ書き風に、メールで送られて来た。

・シャノンが現在撮影を進めている映画、火星年代記の一シーンに、この秋に発表される新車を走らせる。
・広告映像制作においてはシャノンを総指揮者総監督とする。
・映画のシーンの広告への使用料、総指揮総監督料は無料。
・代わりに、サクソニア・モーターズの新規開発車一台を提供するものとする。
・制作に当たっての、当方スタッフの旅費交通費、宿泊費、会議費、それに準ずるものは貴社の負担とする。
・当案件の可否の決定は二週間以内とする。

私は、少し霞んだ四月の都会のビル群を見渡しながら、デスクから恭介に電話をかけた。
「メール見たわ」
「二週間以内の会社の決済は可能ですか?」
そこには、夫婦交換の相手の男ではなく、いつもの仕事現場の会話があった。仕事の発注元と下請け会社の会話だった。
「急ぐわ、うちの会社はとにかく、意思決定が鈍いんだから」
「頼みますよ」
「広告コンペの競合他社に、圧倒的な優位差を付けられる事を強調するわ。」
「いい結果を待ってます」
私たちの会話は短かった。

私は電話で梶木を呼んだ。彼はマーケティングプラン担当で、私のサブ的存在である。
「これ読んでくれる? 」
私は葉月恭介からのメールを渡した。
読み終わると、彼は驚愕して言った。
「マジですか? 本当ですか? 」
「葉月夫妻は、そのために、ロスまで飛んで、シャノン監督と会って来たのよ」
「葉月さん、凄いですね」
「で、簡単な企画書を至急作って欲しいの。このメールの内容がいかに凄いか、わが社のメリット、サクソニア・モーターズ社のメリット。そして、なぜ、シャノン監督がこの案に乗り気なのか、予想されるシャノン監督側のメリットと利益についても触れてほしいの」
「分かりました」
梶木は目を輝かせて言った。
「明日のお昼までに頂戴」
「そんなに早く?」
「時間がないの。明日の午後に、藤枝専務に根回しするわ」
「えっ、あの専務に?」
梶木が驚いて言った。

梶木が驚くのは無理もなかった。
剛腕で利益至上主義。
収益力のみを評価し、広告の質やクリエティブ力などお飾りだとするのだ。
なにより、その風貌が周りのものを恐れさせている。
ボクサー犬のようなたるんだ頬といかついぎょろ目。異様極まりない表情なのだ。

先週の金曜日は、藤枝専務を囲んでの制作局各部の部長達との会食だった。
私は、シャノン作戦の結果報告を受けるため、会食をキャンセルした。
私は夫と共に、葉月恭介夫妻と会い、恭介からシャノン監督の協力許可の報告を受けていた。
そしてそのまま夫婦交換に流れ込んだのだった。

梶木が私のブース出て行った後、藤枝専務に電話を入れた。
専務が出た。
ボクサー犬のような顔が浮かんだ。
そして、ぬめぬめした、涎に濡れた、大きな舌の、ぞっとする感触が蘇った。

「おう、金曜日の会食はドタキャンだったな、みんな君を待ってたんだぞ」
「済みませんでした。実は専務のお役に立つ情報が入りました。」
「情報?」
「明日、お会いできませんか?」
「分かった、昼メシでも食おうか、ひとりかい?」
「はい」
私は、明日の昼、知っている料亭で会う約束をして電話を切った。

ひとりかい、という言葉に、ゾクゾクッと体が震えるのを感じた。